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聖霊

 

第4章

聖霊

  宗教の中で、聖霊が存在するのはキリスト教だけです。この聖霊の教義を考えると同時に、イエス様が聖書の中心主題だということを、頭に入れておいてください。私たちは、聖霊のお名前を知りません。ただ、聖霊が何であり、どんな方で、そして何をされるのかを知らされています。聖霊の個人的な名前を聖書が黙していることは、重要です。主イエス様の御名と働きが賛美されるように、あえてご自分のお名前を現わしていないのです。(ヨハネ15:26)

 I. 聖霊の人格

 聖霊を単なる物と思わないでください。聖霊は、すべての信者に宿っている人格を持ったお方です。私たちは、時々、見える人しか本当の人ではないと思ってしまいます。しかし実際は私たちは、人であり同時に、目に見えない人格も持っています。肉体は、地上で生きている間、神が与えてくださった媒体に過ぎません。人が死ぬ時、人の肉体は墓に埋葬されますが、魂は肉体から離れます。魂は、聖霊と同じく、決して目に見えません。

 A. 人間に対する聖霊の反応を見れば、人格があることがわかります。

 1. 悲しまれることがあります。「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」(エペソ4:30)

2. 試されることがあります。「そこで、ペテロは彼女に言った。『どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。』」(使徒5:9)

3. 逆らわれることがあります。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。」(使徒7:51)

4. 冒涜されることがあります。「しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」(マルコ3:29-30)

5. うそをつかれることがあります。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。」(使徒5:3)

 B. 聖霊は、聖書の何ヵ所かで神と呼ばれています。次の聖書箇所でもわかるように、聖霊は神の属性を持っておられます。

 1. 全能(ルカ1:35) キリストが誕生されたとき、マリヤとイエス様の保護者でした。私たちの保護者でもあります。

2. 全知(1コリント2:10)私たちの人生のすべてのことをご存じです。

3. 遍在(詩篇139:7-17)私たちの人生の中で、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」方です。いつも共にいてくださいます。

4. 永遠の霊 (ヘブル9:14) 新生から天国に至るまで、生ける神に仕えるよう私たちを助けてくださいます。

 C. 聖霊が、神としての働きをする象徴や実例が、聖書の中にいくつか書かれています。

 1. 鳩 -(ヨハネ1:32) 聖霊がイエス様に仕えるときの鳩は、愛と悲しみの象徴です。

2. 水 -(イザヤ44:3;ヨハネ7:38-39) 人が救われたのち、霊的な渇きをいやすのは、聖霊以外にありません。

3. 油 -(1サムエル16:13) 祭司が神のみ声を聞くように、祭司の耳に油を注がれました。次に、祭司が神のために行動できるように、祭司の親指に油注がれました。私たちの人生にも、このような聖霊の働きがあります。

4. 風 -(ヨハネ3:6-8) 聖霊は、静かで、感じ取れない風のように、救いや私たちの日常生活の中で、働いてくださいます。

5. 火 -(使徒2:3-4) 火は、聖めと試みと裁きの象徴であり、聖霊は私たちの人生に働きかけます。

6. 衣服(覆い)- 士師6:34(Amplified Versionという英訳では「着る」ということばが使われています。)衣服は、守ることを意味します。聖霊は、私たちを守る方です。

 II. 聖霊の目的

  聖霊は、聖書の中であらゆる分野で活動されています。以下は、聖霊がかかわる事例です。

A. 語られます。「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われた」(使徒13:2)。

B. 執り成してくださいます。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どうのように祈ったらよいかわかっらないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ8:26)。

C. 証しされます。「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします」(ヨハネ15:26)。

D. 監督してくださいます。「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです」(使徒20:28)。

E. 導いてくださいます。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」(ヨハネ16:13)

F. 教えてくださいます。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

G. 天地を創造されました。「初めに、神がは天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」(創世1:1-2)

H. 新生による救いをもたらします。「イエスは答えられた。『まことに、もことにあなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新たに生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。…御霊によって生まれた者もみな、そのとおりです。」(ヨハネ3:3;5-8)

I. イエス様を、死人の中からよみがえらせました。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」(ローマ8:11)

J. 救いを全うしてくださいます。「あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」(1コリント6:11)

K. 私たちの救いの証印となってくださいます。「この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。」(エペソ1:13)

L. 信者を導いてくださいます。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(ローマ8:14;ガラテヤ5:18)

  クリスチャン生活を歩むとき、私たちは聖霊が毎日助けてくださるという事実を意識しなければなりません。聖書は、私たちが聖霊に満たされ、支配されていると教えています。私たちが生活の中で罪の中にとどまっているなら、聖霊は働くことができません。心や行いの罪によって、聖霊を消してしまいそうになり、神との交わりを失いそうになるときは、1ヨハネ1:9 をさっそく実行しなければなりません。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきめてくださいます」。このようにして、私たちは、神との交わりを持ち続けることができます。この世でクリスチャンが直面する最も危険なことは、破産でも、病気でも、孤独でも、侮辱でも、迫害でも、その他どんなものでもありません。一番危ないことは、自分の人生の中に罪を入らせることです。私たちと神との交わりを断絶し、聖霊を消し、私たちの歩む道を滅びの道にそらそうとするが罪なのです。私たちが注意しなければならないことが、ガラテヤ5:19-21に書かれてあります。サタンが、私たちの魂の敵だということを悟らなければなりません。これは、私たちの毎日の戦いです。(エペソ6:11-18) 1ヨハネ1:7に書いてあるように「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中をあゆんでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」。

その日の毎時間、神との短い時間を持つことで、み父との交わりを持つことができます。即座に自分の罪を告白することは、私たちの魂の敵に対する唯一の防御です。1ヨハネ1章を何度も読み、暗記してください。それが、勝利したクリスチャン生活を歩む秘訣です。

 III. 聖霊の働き

  どんなクリスチャンも、二種類の実を生活の中で結びますが、いつでもどちらかの実が明らかになります。クリスチャンとして、あなたがどう望むかによって、どちらかの実を結ぶことになるということを思い出してください。それは、肉の実か御霊の実のいずれかです。どちらの実を結ぶかは、だれに自分の人生をご支配してもらうかによって決まります。「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです」(ガラテヤ5:16-17)。あなたは、毎日この世で生きて実を結んでいますが、どちらの実でしょうか。この世の圧力は、肉の欲望を満足させるようにあなたを誘惑します。誘惑は、広告、メディア、雑誌など多くのものにあります。サタンは、この世の神です。 1ヨハネ5:19 この肉の行いは、ガラテヤ5:19-21 に書かれてあります。クリスチャンでない人は、紛れもなく欲望のままに肉の実を結びます。人間的には良いと思われる行いとか、世がほめる宗教的、かつ社会的な行いをするかも知れませんが、神の目から見れば、それらに永遠に残るような価値はありません。

  聖霊の働きは、御霊にあって、あなたの人生に御霊の実を結ばせることです。生まれ変わったクリスチャンでなければ、よい実を結ぶことはできません。御霊の「実」ということばは、聖書の中で使われているときに、単数形だということに注目してください。自分で実を選べません。それは、聖霊による実です。ですから、実がすべて実るのか、全く結ばないかは、あなたと神との霊的関係によっているのです。罪が入ると、御霊の実は肉の実に変わってしまいます。すべてのクリスチャンの願いが、生活の中でよい実を結ぶことでなければなりません。私たちが聖霊のご支配に委ねていくとき、聖霊が私たちの生活の中で働いてくださり、御霊の実を結ばせてくださいます。聖霊がすべての人の主でなければ、聖霊は神ではありません(ガラテヤ5:22-24)。

 私たちは、御霊の実を結ぶために、勝利した状態を得る必要はありません。すでにキリストにあって頂いた状態から、御霊の実を結びます。それでも、日々の生活の中で、よい実を結ぶように戦わなければなりませんが、私たちの勝利はこの聖句にあります。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです」(ガラテヤ5:24)。  私たちの勝利は、自分の努力によるのではなく、キリストによるのだということに気づかなければなりません。肉の思いを十字架につけたのは、私たちの行ないによるのではなく、私たちの内に宿り、私たちもその内に生きているキリストによるのです。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身を捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラテヤ2:20)。聖霊のご支配に委ねる時、日々勝利を得ることができます。聖霊を悲しませることがあっても、聖霊は、あなたから離れることは決してありません。なぜなら「贖いの日に対して保証されているのです」(エペソ4:30)とあるからです。私たちが天国の岸にたどり着くまで、聖霊はいつもあなたの内に宿ってくださいます。

 IV. 聖霊の賜物

 あなたはクリスチャンとして、「私には何ができるだろうか?」と、自分に問いかけたことがありますか。もし私があなたに新しい車をプレゼントしたなら、私はあなたにどんなことを期待するでしょうか。ショールームにいれて他の人たちが来て、ただ眺めたり、あれこれと話したり、ほかの人たちにも伝えたり、写真を撮ることでしょうか。それとも、その車に乗って運転することでしょうか。もちろん車の目的は、運転することです。仕事に行ったり、友だちを乗せたりして運転するかもしれません。ただ田舎のドライブを楽しむだけかも知れません。神が、永遠の命とあなたの内に宿ってくださる聖霊と御霊の賜物という贈り物を与えてくださったのは、それらを神のために用いてほしいからなのです。「さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていただきたいのです。...さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。」(1コリント12:1,4-7)

 以下の聖書箇所に、聖霊が信者に与える賜物について書かれています。主に仕えるために、それぞれの信者に、少なくとも一つの賜物が与えられています(ローマ12:4-8)。主は、私たちに与えた賜物を、どのように用いることを期待しておられるのでしょうか。自分の回りを見たり、聖書を読んで調べたりしていると、自分にはない賜物ががありますが、他人の賜物を見て、それをうらやむべきではありません。あなたに与えられた聖霊の賜物は、神の特別な子供として、あなただけに与えられたものだと理解してください。「しかしこのとおり、神はみここに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。」(1コリント12:18)「私の賜物は何だろう?」と思うかも知れませんが、それは私たちにはわかりません。神に聞いてください。自分の賜物を見つけて、それを大いに用いてください。

  ある賜物は、もはや現代のクリスチャンに与えられていません。「使徒の働き」は、教会が始まる移行期の記録だということを思い出してください。使徒の働き録は移行期の書ですから、新約聖書の残りの部分の裏づけがないかぎり、使徒の働きのみで教義を構築することはできません。ペンテコステのとき、信者は新約聖書を持っていなかったので、神はご自分の力と権威を示すために、奇跡や啓示や異言を用いられました。これは、人を贖うために来られた救い主の出現を、新しい時代において、早く知らせるためでした。それはペンテコステのときだけの奇跡であり、再び起こることはなかったのです。十字架や肉体的な復活や昇天が一度きりであるように、ペンテコステも一度しかありえません。ペンテコステの日に、世界中から来た当時の人々に対して、使徒たちは彼らの母国語で福音を語りました。そのために、それを聞いた人々は、帰ってから、死人の中から救い主がよみがえられたことを同国人に伝えることができたのです(使徒2:4,22-24)。 現代では、異言の賜物は、もはやありません。聖書は、世界のあらゆる言葉に翻訳されています。私たちのすべきことは、ただ自分の言葉を用いて、福音を宣べ伝えるという神のご命令を実行することです。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)。

  今は、新約聖書という書かれた形で、で神の全啓示を知ることができるので、神の教えを知識の賜物を必要とはしません。同じ理由から、預言の賜物ももはや必要ではないのです。こういう特別な賜物は、クリスチャンが、今のような新約聖書を持たなかった特別な時代に必要なものでした。神は、新約聖書が完成されるまでは、旧約聖書を通し、またご自分の民に直接語ってくださったのです。1コリント13:10が新約聖書を指して述べているように、「完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。」 ヤコブ1:25 にある「自由をもたらす完全な律法」とは、新約聖書のことです。今は、新約聖書という文字に書かれた神のみことばがあるので、異言や預言のような特別の賜物は必要ないのです。黙示録22:18-19に書いてある通り、神のことばに啓示や預言などを付け加えることは、神の裁きを招きます。「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。またこの預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書の書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」

 V. 聖霊の証印

 聖霊ご自身が証印です。

A. 所有権としての証印です。(2テモテ2:19)

B. 身分証明の証印です。(エペソ1:13-14)

C. 保証の証印です。(エペソ1:13-14)

D. 取引成立の証印です。この証印は、法的な取引であることを証明しています。(エレミヤ32:10)

E.  義と認める証印です。(ローマ4:11)

F. しっかりと刻印された証印です。この刻印は、いつも確実に刻印されています。聖霊で刻印されるとき、私たちの心に神の刻印が刻まれます。(2コリント1:22)これは「保証」の証印です。保証金とは手付金のことですが、残りのすべては後で支払われます。内に宿る聖霊とは、ちょうど神の保証金のようなものです。「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、購いの日のために、聖霊によって証印を保証されているのです。」(エペソ4:30) 聖霊は、天国で再会する日まで、永久にあなたから離れません。

 

VI. 聖霊のバプテスマ
 「バプテスマ」という言葉は「浸す、入れる、又は一致する」という意味があります。聖霊のバプテスマというのは、救われる時に、聖霊が私たちをキリストのからだに導いてくださることです。「キリストのからだ」とは「教会」と同義語で、すべての生まれ変わった信者の集りです。「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」(1コリント12:13)これがペンテコステの約束で、教会の始まりでした。

  聖霊のバプテスマとは、力や経験を受けることでなく、聖霊ご自身が、人をキリストに導きいれることです。使徒の働き1:5に「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである。」とあります。これはペンテコステのことを指しており、まもなく来るはずの教会の始まりのことです。ペンテコステ以前は聖霊が人に下りましたが、ペンテコステ以後の聖霊は、いつも人の内におられます。救われたすべての人の内に、在住しているのです。聖書の中で「聖霊のバプテスマ」という言葉が使われる時は、必ず単数ではなく複数として用いられています。「聖霊と火のバプテスマ」というのは、救いと裁きを表す対照的な描写です。(マタイ3:11-12;ルカ3:16-17)

  ある人は、「聖霊のバプテスマ」を受け、異言を語ることを主張します。また、ある人は病気を治したり、奇跡を行ったり、悪霊を追い出したりする力を得たと言いますが、そういう人たちは、にせ預言者やにせ教師です。2ペテロ2章を読んでください。その人達は、聖書に基づいて自分の経験を解釈するのではなく、聖書を自分の経験によって都合よく解釈してしまいます。悪魔は、神には関係のないいつわりの奇跡を行います。真理の御霊もありますが、人を惑わす霊もあるのです。1ヨハネ4:1-6) 

  現代のクリスチャンにとって聖霊の賜物を生かす最大の鍵は、「さらにまさる道」にあります。1コリント13:2には、「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰をもっていようとも、愛がなければ、無に等しい。」と書かれてあります。クリスチャンが与えられた賜物を用いる動機は、愛でなければなりません。私達はいつでも、どこでも、どんな働きや証をするにしても、主が呼ばれるとき、主イエス・キリストにすべてを委ねなければなりません。聖霊の働きや人格については、まだたくさん述べたいことがありますが、キリストにあって成長していくに従って、私たちの生活の中で聖霊の臨在や働きがよく分かるようになるでしょう。

 

 

 


 

 

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