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ボランティアの人たちが、自分の家を無料で建て直してくれることになった。2005年8月に襲ったカテゴリー5の猛烈で大型のハリケーン・カトリーナで水浸になり、部屋の壁に泥のあとが残る小さな家に住む黒人は、その再建計画を聞いて感謝と喜びで顔がくしゃくしゃになりました。

それに引き較べ、リーマンショック後、プール付き豪邸のローンが支払えなくなり、追い立てを食うのは時間の問題という、ラスベガスの住人の顔の暗いこと。

両者の表情は、どうしてこうも違うのでしょうか。粗末なところに住む人が喜び、素晴らしいところに住む人が暗澹たる顔をしている。言うまでもなく、今の状態によるのではなく、将来に起きることによって違うのです。

使徒パウロは言いました。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい(ピリピ4:4 )。」

では、このピリピ人への手紙を書いた使徒パウロ自身は、どうでしたでしょうか。彼は、キリストの信仰の故に捕らえられて獄中にいました。いつ牢から出してもらえるのかわかりません。

それだけではありません。彼の人生は、イエス・キリストをのべ伝えたためにさんざん迫害され、命も落としそうになりました。同胞からは毛嫌いされ、自分が福音を伝えたクリスチャンに見捨てられたこともあったのです。とことろが、彼は、主にあって喜んでいるのです。

主にあっての喜びとは、いわば将来を先取りして感動する、霊的喜びです。パウロは、やがて来られる救い主イエス・キリストを待ち望み(Ⅰテサロニケ4:16)、義の栄冠が主から授けられる約束をしっかりと握り締めていました(Ⅱテモテ4:8)。もちろん、彼は信仰の故の労苦が無駄に終わらないことも知っていました(ピリピ2:16)。暗くじめじめした牢獄の中にいるにもかかわらず、その将来の確かな素晴らしいことごとに心を躍らせていたのです。

霊的喜びは、だれにも損なわれない心の底から湧き上がる喜びです。キリスト者は、この喜びにより信仰が増し加わるのです。すなわち、主を益々信頼するようになるのです。ですからパウロは私たちにも、「いつも主にあって喜びなさい、喜びなさい。」と繰り返し命じているのです。

今あなたがおかれている状況は、とても喜べるものではないかもしれません。けれども、神様がすでにあなたに用意されている祝福を数え上げながら、それらに思いを巡らせてください。忠実なしもべに、「よくやった。私の喜びを共に喜んでくれ。」と言った主人のように、私たちの主は、やがてしぼんでしまうことのない霊的な喜びを、今、あなたにも分かち合おうとされているのです。

(BBN聖書学院の聖書各書研究の講座にある「ピリピ人への手紙」コースで、クリスチャンの喜びについて深く学べます。)

担当   Hitoshi Shinoda    記載日  8/19/2011 6:09 PM
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