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BBN聖書放送の信条

BBN聖書放送の信条

・私たちは、聖書は、原典において聖霊によることばの霊感を受け、誤りのない権威ある神の言葉であり、クリスチャン信仰と行動に対して、絶対の権威を持っていると信じます。

・私たちは、父、御子、御霊の三位一体の神性を信じます。

・私たちは、悪魔と呼ばれるサタンの人格が存在し、罪にある人々を支配していることを信じます。

・私たちは、人は、(アダムによって)罪に生まれついてさまよっている状態であり、その完全な堕落には、新しく生まれ変わることが必要であると信じます。

・私たちは、イエスキリストの神性、処女降誕、死、肉体の復活、神の右の座にあげられ、そして千年王国の前に、すぐイエス様ご自身が再臨すると信じます。

・私たちは、救い主なるイエス・キリストが私たちに代わって死なれ、キリストを救い主と信じる者は、その流された血によってあがなわれると信じます。

・私たちは、救われた者は復活し、新しく生まれた人々によってのみ成るキリストの花嫁であり、体なる教会と天国で、祝福と永遠の生涯へ入れられることを信じます。イエス・キリストは今も、天にて執り成しをし、そして、再び再臨されることを信じます。

・私たちは救われていない人も復活し、地獄で永遠の裁きにあうことを信じます。

・ 私たちは、「世界に出て行き、すべての人に福音を宣べ伝え、信じる者にバプテスマを授け、教える」という教会に与えられているキリストの大宣教命令を信じます。

BBN聖書放送では、どのように教えていますか?

  • 救いについては、どのように教えていますか?
    私たちは、すべての人は救いからはずれた者であり、神によって罪に定められていると教えます。なぜなら、すべての人は罪を犯し、神からの栄誉を受けることは出来ないからです(ローマ3:23)。また、すべての人は罪に定められて死に、罪ゆえに地獄にいくと教えます(ローマ6:23)。私たちはイエス・キリストを伝えており、イエス・キリストは、人々の罪のために神が与えてくださった代価です。救いは、イエス・キリストの死、埋葬、復活を信じるすべての人に与えられます(ヨハネ 1:12、3:16)。聖書は、イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れ、イエス・キリストの罪の代価を信じるすべての人は救われます(ローマ10:9-13)と教えます。


  • イエス・キリストとは、誰ですか?
    イエス・キリストは、神の御子であり(ヨハネ3:16)、万物の創造主です(コロサイ1:16、17)。そして、神であられ、人でもあられます(コロサイ1:15、イザヤ9:6)。


  • 水によるバプテスマについて、説明してください。バプテスマは、いつ受けるべきですか?水によるバプテスマは、救いと関係がありますか? 
    水によるパブテスマは、イエス・キリストを受け入れたという内的変化を形に表すものです。これは、イエス・キリストにあずかる死、埋葬、および復活、そしてクリスチャンになったことを表し、古い自分に死に、新しい自分に変えられたことを意味します。バプテスマのヨハネからバプテスマを受けられたイエス・キリストの例に従うことであり、これは正しい行いです(マタイ3:15)。イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れるとすぐに、パブテスマを受けます。バプテスマを受けることは救いの表現ですから、バプテスマが救いより先に来ることはありません。幼児洗礼を行わない理由は、(1)聖書の中で、幼児がバプテスマを受けた記述がないこと、(2)幼児は、救い主を罪の代価として個人的に受け入れることができない、からです。
    私たちの救い主は、バプテスマを受けることは正しい行いだと言われました。イエスにバプテスマを授けることをバプテスマのヨハネが躊躇していると、「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」と、イエス・キリストは言われました(マタイ3:15)。(この実行という言葉は、欽定訳書によると成就、実行、完成などを意味しています。これらのすべての言葉は、業、任務という意味を含んでおり、バプテスマを正しい行ないとするものです。)そして救いは、すべて恵みによるのであり、行ないによるのではありません(エペソ2:8、9)。


  • 聖霊とは、誰のことですか?
    聖霊は、三位一体の位格の一つです。聖霊は、父なる神と同様に目で見えるような形を持ちません。聖霊の働きは、罪、義、さばきについて、世にその誤りを認めさせることです(ヨハネ16:8)。人が罪人であること、救い主が必要であることを知らせ(ユダ1:15)、クリスチャンを真理の道へと導きます(ヨハネ16:3)。聖霊は、私たちの教師です(ヨハネ14:26)。いつも私たちに、聖霊ご自身をではなく、イエス・キリストをあかしします(ヨハネ15:26)。聖霊は慰め主でもあります(ヨハネ14:26)。そして、人を用いて羊皮紙に記述させ、聖書を与えてくださった方です(Ⅱペテロ1:21)。


  • 御霊の賜物については、どのように教えていますか?
    私たちは、神は二つのタイプの御霊の賜物を与えてくださったと教えます。正典又は旧新約聖書が完成する前に、神はイスラエルの民、又はユダヤ人の一部の人にしるしを与えました。しるしには、昼は雲の柱、夜は火の柱、癒し、死者の甦り、水と食物の供給、乗り手に語るロバなどがあります。これらは、正しく道を行くための道路標識と同じようなものです(エレミヤ32:21)。聖書という書物が完成していなかったので、これらのしるしは必要でした。しかし、聖書が完成すると、しるしは止みました(Iコリント13:8‐10)。既にやんだ賜物の中に、異言や預言や知識があります。
    一方、奉仕を行うため、クリスチャンを整え、備えさせる御霊の賜物があります。それらは、エペソ人への手紙4章に書かれてあります。また、クリスチャン生活を歩むため、「御霊の実」が与えられています。


  • 異言は、現在も語られるべきですか?
    異言については、様々なことが言われています。ある人は、それが聖霊に満たされていることを知る最善の方法だと言います。また、他の人は、すべてのクリスチャンに与えられた普遍的な賜物で、異言なしに救いはないのだと教えています。しかし、そういう教えは、聖書のどの箇所にも書かれてないことに注意してください。
    ピリピの看守が、救われるために何をすべきかとパウロやシラスに尋ねたとき、彼らの返事には、異言について一言も述べられていませんでした。パウロは、コリントの教会へ宛てた最初の書簡の15章で福音の定義を書いた時、異言については言及していません(コリントの教会ほど、どの新約聖書の教会よりも「異言の賜物」を誇示した教会はありません)。 パウロが、ガラテヤ人への手紙の5章22節と23節で「御霊の実」について書いた時、ここでも異言について言及していません。「未知の言葉」や「口に出すことの出来ない言葉」は、聖書には記述されていないのです。もし、あなたが正確に翻訳された聖書を持っているなら、原本にはなく、翻訳者によって補足された言葉がイタリック体になっていることに注意してください。「未知」という言葉は、コリント人への手紙第一14:2、4、13、14、19では、イタリック体になっています(イタリック体は、英語の聖書の場合です)。
    ペンテコステの日にぺテロに賜物が与えられ、様々な所から来たユダヤ人たちは、ペテロが語った説教が「自国の言葉」で語られているのを聞きました。また、異言は時々しるしとしての賜物であり、それは、起こったことが神によるものであることを示すためです。使徒の働き10章では、神が異邦人にも救いを与えられたことを、ユダヤ人のペテロに示しました。コリント人への手紙第一1:22では、「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します」と書かれてあります。聖書が完成した時、異言の賜物はやみました(Iコリント13:10)。


  • 終末論についてはどうですか?大患難が始まる前に、携挙が起こると教えていますか?
    終末論は、将来に起こる出来事についての教えです。聖書が書かれた時点で、未来に起こる多くの出来事が預言されました。神は、イスラエルの民の出エジプトをモーセに預言され、モーセは、パロとイスラエルの民に、そのことが起こる前に預言しました。神は、様々な王国によるイスラエルの捕囚についても、預言されました。また、神は、将来この地上で起こる出来事を示しています。過去に起きた出来事も預言通り成就しているので、私たちはこの教えを信じることができます。今日の終末に関する教えでは、携挙、患難、再臨、千年王国(キリストによる千年間の統治)、大きな白い御座での審判、新しい天地と考えています。ダニエル書とヨハネの黙示録の二つは、終末論のことを最も多く記述している書です。
    私たちは、大患難前携挙説の立場をとります。これは、ヨハネが天に上り、そこで体験したことが書かれているヨハネの黙示録4:1、2などの聖句に基づいています。教会(当時、クリスチャンを意味した用語)という言葉は、ヨハネの黙示録2章と3章の中によく出てきますが、その後の章には教会の言葉は出てきません。ノアはクリスチャンのひな型で、神を信じ、「内と外を木のやにで塗った」箱舟に乗って洪水を逃れました。ここで、「塗った」と訳されているヘブル語は、「贖いの代価、身代金、または満たされた」という意味です。これはイエス・キリストの血を象徴し、世界中に起こる洪水、または恐ろしい患難から私たちを守ってくれるのです。
    パウロは、テサロニケ人への手紙第一4章13節から18節の中で、携挙について記しています。そして、第二の手紙で、パウロは当時の教会にあった間違った教えを正しています。テサロニケの人々は、イエス・キリストの日(世のさばき)がとても近いことを恐れていました。パウロは、以下のように教えています。「さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください」(Ⅱテサロニケ2:1、2)。テサロニケ人への第一の手紙で、彼らが恐れている出来事が起こる前に、クリスチャンは雲に引き上げられ、空中でイエスと出会うことになると、パウロはテサロニケのクリスチャンに教えています。


  • 離婚についてはどう考えますか?離婚が許されることがありますか?
    神は、結婚によって男女が一体となり、生涯共に過ごすようにご計画されました。エデンの園で、最初の夫婦(アダムとエバ)に、「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」と言われました。クリスチャンは教会の体の一部分と言われ、教会はイエス・キリストの花嫁と呼ばれていることから、私たちは、相手のどちらか、または両方が死ぬ日まで、結婚において別れることがあってはならないと信じています。
    旧約時代、神は、財産や権利についての解決を図るため、離婚の法的手続きを許され、離婚した妻に離婚状を渡すことが定められました。しかし、イエス・キリストは、神がイスラエルの民の心がかたくななので離婚状を渡したと、マタイの福音書19:3-12で言われます。これは、結婚した夫婦に対する神のみこころが変わったということではありません。イエス・キリストは、結婚した夫婦が離婚できるたった一つの理由は、姦淫の場合のみだと言われます。しかし、離婚は、クリスチャン夫婦の間ではよい選択とは言えません。イエス・キリストはどのような困難があろうとも、姦淫であっても、クリスチャンの結婚生活を助けてくださいます。


  • 離婚した人は、牧師や教会指導者になれるでしょうか?
    教会の牧師や指導者の条件に、牧師は一人の妻の夫であり、家庭をよく治めるべきというのがあります。ですからそのように行っていない人は、不適格であるといえるでしょう。離婚をした人は一人の妻の夫でなく、家庭をよく治めていなかったことが明らかです。詳しくは、テモテへの手紙第一3章とテトスへの手紙1章をお読みください。


  • 永遠の保証について説明してください。
    永遠の保証とは、人がイエス・キリストを個人的な救い主として受け入れ、信じると、永遠に救われるという教えです。ヨハネの福音書3:16には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と書かれてあり、この「永遠のいのち」とは、終わりのないいのちを意味します。ヨハネの福音書10:27-29には、「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。また、わたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません」と、書かれてあります。「だれも」という意味は、絶対に誰も奪い去ることが出来ないということです。


  • わたしが救いを失うことがあるかもしれないと教えますか?
    あなたの救いは、自分で持ち続けたり、失ったりするような自分個人のものではありません。イエス・キリストがあなたの罪のために死んでくださり、あなたはイエス・キリストを個人的な救い主として受け入れたので、救いを受けたのです。また、イエス・キリストはあなたの羊飼いとなられ、「主の御名のためにあなたを守られます」。中近東の羊飼いは、羊をよく世話し、守ることに全力を注ぐことで知られています。もし、羊飼いが羊を失うなら、汚名を着せられ、評判が悪くなります。ダビデ王は「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。・・・まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」と書いています。ダビデは「私は、主の家に住むかもしれません」とは言っていません。ダビデは、自分の羊飼い、そして羊飼いはどのような役割をするか知っていたのです。詩篇89篇にある神が、ダビデと彼の子孫(イエス・キリスト)、そしてイエス・キリストの子孫(クリスチャン)と結ばれた約束を読んでください。懲罰は必要かもしれませんが、約束が破られたり、いのちが永遠でないと、ここでは教えていません。


  • 聖書は神のことばですか、それとも神の言葉を含んでいますか?
    聖書は、神のことばです。そうでなければ、何が神のことばであり、そうでないと誰が決めるのでしょうか。聖書は完全に正確であり、厳密であり、三つの要素から成っていることを思い出してください。まず、神が直接、人間に語っています(例:出エジプト記20章の十戒)。そして、人が語ったことも含まれています(伝道の書のソロモンの証)。そして、一部に神の最大の敵である悪魔の言葉があります。「そこで、蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。』」(創世記3:4―5)。
     神の語ることは、いつも正しいです。うそをつかれることはありません。人の言うことは、正しかったり、そうでなかったりします。ソロモンは、人生で観察した事柄を、「日の下の人」として聖書に記述しています。悪魔が言うことは、部分的には正しいように思えますが、全体的に見れば偽りになります。
    しかし、聖書のすべては、神の霊感いよるもので、聖霊によって人に与えられました。テモテへの手紙第二3:16、17に、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」と書かれてあります。


  • 聖書は、クリスチャンの信仰と行いに権威ある唯一の書ですか?
    聖書は、神から人に与えられたものです。聖書によって、人は神の思いと御心を知ることができます。聖書のみが、正しい教えの基準であり、信仰を与え、正しい行いができるように導きます(Ⅱテモテ3:16,17)。
 

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