BBN Radio
天国への道インターネットラジオBBN聖書学院ライブチャットリソース言語献金コンタクト
番組について |アップデート|モバイル|放送に関するヘルプ|福音を伝えよう|アルバム|BBN聖書放送について|
放送を聴く

現在放送中:
聖書日課
BBN 聖書放送
 

最近の教会音楽を考える

大学院時代、音楽理論の教授が、このようなことを言いました。「世の中では今、どんな音楽が流れているのでしょう。20年もしないうちに、そのような音楽を、教会でも聞くことになるでしょうね。」

 この教授の言うことを心に留めて、最近の教会音楽を聞いてみてください。今日の世界中の音楽を考えてみて、そして、ここ20年間の教会音楽をもっと深刻に思い描いてください。

 教会音楽のあり方は、どうなっているのでしょう。そしてどこへ行ってしまうのでしょう。教えてほしいものです。

 以前は教会音楽者であり、そして現在は音楽学校の教師であり、経営者である私は、教授の言ったことを肯定するかのように、教会音楽が変化しつつあると感じています。

 一つの例として、二ヵ月前私と家内は、午前中に三回礼拝を持つ近くの教会を訪ねました。第二礼拝の少し前に、教会に着きました。第一礼拝の終わり間近で、献金の演奏をしていました。それはまるで、バーボン通りのジャズクラブ演奏のように聞こえました。

 私達は、第二礼拝が始まる前に、その教会を出ました。もっと伝統的な礼拝を願って、最終的には名前と宗派を頼りに、思いついた教会に車を走らせました。またしても早めに着きました。この教会では、ドラマーがエレクトリックドラムを、そして、ピアニストがシンセサイザーでブルースを演奏していました。演奏が10分あまりも続いたでしょうか。それからほかのオーケストラメンバーが入って来て、一斉にブルースを演奏し出しました。最後に、コーラス隊が中に入り、テンポとボリュームを上げ、体を動かして演奏に加わったのです。

 牧師が礼拝の招きをし、お祈りをした後に、コーラス隊は、最近作られた美しい賛美歌を歌いました。それはすばらしい演奏でした。そして「賛美の時」が続きました。その間、25分間ずっと立っていました。今まで私達が聴いたこともないコーラスにつぐコーラスで、会衆の40%は体を揺れ動かしながら歌っていました。立っている時、会衆の60%の人々は、私が感じているようなことを感じているだろうなと思いました。まるで初めて教会を訪ねた人のような気持ちで、礼拝を終えてそこを出ました。皮肉なことに、この教会は、訪問者やお客様を暖かく迎え、折り目正しい礼拝をすることで知られているのです。

 これがそうなのでしょうか。今日の教会音楽のあり方は、このようなものなのでしょうか。悲しいことに、私はそうだと思うのです。宣教教育のために、私達は多くの地方教会を訪問します。宗派に属しているとか単立とかに関係なく、多くの教会がこんな風です。教会音楽は、物まねになっています。そして時には、世の中の音楽サウンドを越えています。

私は、憂えているクリスチャンや関係者たちに、行動を呼びかけています。このような音楽や祈りのない礼拝に対して、牧師や礼拝の指導者(今は音楽宣教師と呼ばれています)、副牧師や宗派の指導者に、その心配や希望や考えを親切に知らせるべきです。私達は配慮のない答えに直面するかもしれません。「これは私達が取る方法です。もし気に入らないなら、ほかのところへ行ってください。」そういう答えであっても、私達は心配や希望を知らせるべきです。

 多くの教会指導者は、人々の喜ぶ音楽のタイプはただ一つだと信じています。それは実に変だと思います。もし私達が、こんな状態の音楽や礼拝をずっと聞かされていたら、将来はどうなってしまうでしょう。

 私の言うことに耳を傾けてください。私はすべてのものを過激だと主張しているのではありません。質のよい現代的な歌も悪くはありません。最近作られた歌というだけで、それを使うべきではないと言っているのではありません。しかし、最近作られたものより、以前作られた音楽の中に質のよい音楽があります。それを最近のものでないからだめだと、単純に切り捨ててはいけません。

 繰り返しになりますが、私の家内が、ピアノの生徒と経験した大事なことをお伝えしましょう。この優秀な生徒(彼女は、教会の若者たちの中でも、また音楽のプログラムでも熱心な人です。)とレッスンした時、家内は、彼女が思い浮かぶ曲をアレンジするように勧めました。教会音楽宣教に使おうと思ったのです。そこで家内は、「のぞみも消えゆくまでに」「雨をふりそそぎ」「主に導かれ」「主のみ名をたたえて」などを提案してみましたが、その生徒は知らないと言ったのです。嘆かわしいことに、多くの教会で、このような主題のごく普通の賛美歌、ゴスペルを教えていないのです。古い新しいにかかわらず、私達全員が質のよい教会音楽を知る必要があります。

多くのキリスト教ラジオ放送やテレビ放送も、また礼拝を混乱させています。ある一部の放送はそうでないことを感謝しています。経験から言うと、ラジオやテレビ音楽は、結局のところ、諸教会の方法に迎合しています。放送関係者は、作曲者や製作者であるなら、今日の教会音楽がどうなっているかに対して、責任の一端をになうべきではないでしょうか。

 2~3日前に、私は有名なキリスト教テレビ放送を見ていました。「預言者」が彼のバンドと一緒に出ていました。バンドやコーラス隊の音楽にリズムが加わって、音楽の力で興奮状態のようでした。ピアノを弾いている様子だけで、インテリーな人や教養のある人々まで、恍惚状態なのを見ました。私が見た
35~40分の中で、聖書的部分があるとすれば、ほんの少しでした。

 本当にどうなるのでしょう。

 教会音楽伝道や音楽プログラムが、聖書的な教えよりも形や方法を強調しているとき、私の心は痛みます。過激になるというよりも、汚染されていると感じてしまいます。

「笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするのでしょう。」(1コリント 14:7,8)

- J. ラヴァ-ン・スミス
ラヴァ-ンと 彼の妻ジニ-は、音楽の分野で卓越した才能と経験を持っています。
ラヴァ-ンは、教会で長い間音楽伝道者をしていました。彼らは、いろいろな国で、
特別集会や教会での音楽プログラムを持って、旅行していました。
さらに二人は、フロリダ州タンパのBBN聖書放送ラジオ局のマネージャーでした。
ジニ-のピアノ演奏は、BBN聖書放送で放送されています。二人は、BBN聖書放送
の宣教を分かち合う教会で演奏し、多くの人々を祝福しました。
BBN
聖書放送を辞めた二人は、神様から与えられた質の高い音楽哲学と才能を
活かして、フロリダ州クレアモントで音楽学校を開校したのです。
Login                                                                                           お知らせ   プライバシー