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クリスチャンの行い

 

第19章

クリスチャンの行い

 

 クリスチャンは、して良いことと、してはならないことをどのようにして識別するのでしょうか。信者がダンスや劇場に行ったり、賭博に現を抜かしたり、飲酒喫煙をしたり、ロックを聴いたり、その他、世俗的な享楽に加わることは、果たして正しいことなのでしょうか。ヨハネの手紙第一2章15節には、「世を愛してはならない」とあります。この御言は、私たちがこの現世、つまり、私たちが住んでいる場所や、そこに住んでいる人々を憎むようにと示唆しているわけではありません。ここで「世」とは、世俗的価値体系の代名詞として言及されているのです。私たちは、世俗の世界のものたちに行わせ、私たち信者をもそれに従わせようとする、この世と同じ価値観を容認してはならないのです。多くの救われて間もない若いクリスチャンは、上で述べてきたことについて抵抗を覚えるようです。もちろん彼らは聖書を通して、明らかに禁止された行いとは何かについて見出すことができますが、全ての禁止事項が逐一聖書の中で述べられているわけではありません。さて、この章の目標は、疑問視されがちな行為に対して、どのように対処すればよいのかについてのさまざまな判断基準を提供することにあります。このような疑問に出会ったら、自ら問いかけてみましょう。「イエス様ならどうされるだろうか。」

 

I. まず最初に、今日、その行いは主によって明らかに禁止されていますか。

  もし明らかに禁止されているのであれば、死に至る病を避けるが如く避けましょう。もし分からなければ、それが明らかになるまで行動に移さないようにしましょう(I テサロニケ5:22)。

II.  その行いが神様の栄光となりますか。

 コリント人への手紙第一10章31節に分かりやすくこう述べられています。「何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」あなたがその行為を為すべきかどうか疑問を持つに先んじて、その行いを祝してくださるように神様に率直に求めることができますか、また、その行いに参加することが神様の栄誉となると信じられますか。

III.  それは「この世のもの」か、ということがやはり大切な問いかけではないでしょうか。ヨハネの手紙第一2章16節には、「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」とあります。もし、あなたの行いが肉に訴えかけるものであったり、神様が求められることよりも自らが望むことを優先したり、それがあなたの高慢の原因となったりするならば、もちろんそれはあなたのためになりません。それはキリストのものではありません。キリストはご自身の弟子についてこう語られました。「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」(ヨハネ17:16)イエス様はそもそも「この世のもの」でなありませんでした。世にはおられました、しかし、属してはおられなかったのです(I  ヨハネ2:15-17)。

 

IV.  主はそれを行われましたか。イエス様は、私たちが手本とすべき模範を残されました(I  ペテロ 2:21)。

 

V.   主が再臨されるとき、その行いを見られても構いいませんか。

  ある人は注目すべき賢い指摘をしています。「もし、主が来られた時に恥じ入る原因となるのようなことなら、するな、語るな、また、そのようなところへ行くな。」(Ⅰヨハネ2:28)

 

VI.  あなたの内にお住まいになっている聖霊様を覚えつつ、恥じることなくそれを行えますか。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊に宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(I コリント6:19;エペソ4:30)


VII.  それは神の子供としてふさわしい行いですか。

王子が相応しからぬ行いをとった場合、父の名に傷をつけることになるように、私たちクリスチャンの相応しくない行いは、天の父の名に傷をつけることになります(ローマ2:24;コロサイ1:10)。


VIII.  あなたの行いが他人にどのような影響を与えるでしょうか。

  あなたの行いが信者でない人への証となっているでしょうか。もしそうでなかったら、クリスチャンとそうでない人との間に何の違いもないじゃないかと判断されるのではないでしょうか(Ⅱ コリント5:17。)またそれは、救われたばかりのクリスチャンのつまずきの原因となっていませんか。使徒パウロは、「兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。」(ローマ14:13)

IX.  最後に、それを行うことにほんの少しの疑いもあなたの心にありませんか。

 もし、少しでも疑いがあるならば、それをすべきではありません。というのは「疑いを感じれば罪に定めれれるからでであり」、どんなものでも、「信仰から出ていないことは、みな罪」だからです(ローマ14:23)。

  クリスチャンの行いの正否に関して留意すべきことは、「あなた方は律法の下にはなく、恵みの下にあるのです。」(ローマ6:14-15) これは私たちが自分がやりたいようにやっても良いということではなく、神様が私たちにさまざまなことをしてくださったので、私たちも神様が喜んでくださることをすることを望むようになったということを意味します。私たちがこの世の生活習慣を避けるのは、そうしなければならないからではなく、私たち自身がそれを望んでいるからです。私たちがそうすることを望む理由は、キリストが私たちのために死んでくださったからであり、それによりイエス様が求められる方法に従って生きることが私たちの切なる願いとなったからです(II コリント5:14-15)。神様は、「もし、罪深い快楽から遠ざかれば、あなたはクリスチャンになれます。」とはおっしゃいませんでした。神様は、実際には、「あなたはクリスチャンではないか。だから、貴い招きに相応しい生き方をしなさい。」とおっしゃっています(エペソ4:1)。クリスチャンがその堂々たる地位を忘れてしまったり、世俗のものの内へと入り込んでしまう可能性もあります。そのような時には、羊飼いが迷える羊を杖を首にかけて連れ戻すように、愛の叱責でもって連れ戻してくださいます。こうして、仮に私たち信者が神様の愛を忘れるようなことがあっても、それは、神様自ら力を揮われ回復してくださいます。

 

 

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