第26章
価値のある人生
どうすればクリスチャンとして価値のある人生を送ることができるのでしょうか。信者であれが救いを失うことがないとは言えども、永遠を価値のないものとするするために人生を無駄に過すことができるのも事実です。「愚か者の計画はやがて消えてしまう」と言われています。無意味な人生を送ることを避けるよう、聖書は、すべてのクリスチャンが従うべきことを次のように助言しています。
Ⅰ.キリストの弟子になるため払うべき代価を考えましょう。すべての信者は神様の子供ですが、皆が弟子であるわけではありません。弟子の条件については、マタイの福音書10章16-42節とルカの福音書14章16-42節にあります。弟子となるということは、快適な生活やこの世での保障を放棄するということです。これは自分を捨てる人生だということであり、世の敵と看做され、愚弄される存在となるということを意味しています。弟子になるとは、すべてを捨てて、イエス様に従うことなのです。
Ⅱ.よく考えて神様にあなたの人生のすべてを捧げましょう(ローマ書12:1)。かくの如き決心の要点は、あなたの体を生きた犠牲として捧げるということです。神様が私たちにしてくださったことに思いをめぐらすとき、これぞまさに私たちが為し得る唯一の価値のあるものであるといえるでしょう。優れた宣教師として名の知れたC.Tストッドは、「もしイエスキリストが神であり、私のために死んだのであれば、彼に捧ぐべき犠牲に、大きすぎるというものは存在しない」と語りました。
Ⅲ.キリストのために命を捨てましょう。救い主はこうおっしゃいました「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ伝16:25)。換言すれば、もしあなたが満たされた喜びと幸せが何かを知りたければ、自らを喜ばすのではなく主イエスキリストが喜ばれる生き方をすべきだということです。自分勝手な生き方をする人は惨めで不幸な人なのです。
Ⅳ.過去の自分を捨てましょう。「綱で生贄を縛り、祭壇の角まで連れて行け」(詩篇118:27)。あなたの主に対する心からの従順と献身による生活を送ることで自らを保ち、すべての悪い関係を切り捨てることで、かつての生活に逆戻りできないようにしましょう(ルカ伝9:23)。
Ⅴ.横道にそれてはなりません。多くの人々が実に素晴らしいスタートを切っていながら、やがてヴィジョンを失い、かつての悪習慣へと逆戻りしてしまっています。給料のいい仕事、物質万能主義、働くこと自体に没入したり、多くの不道徳が、道からそれるようにと誘惑してきます。賢明でない結婚は、使徒になれたであろう人を破滅へと導いてきました。悪魔は、神様があなたのために備えられた道からそらすためにどんな人でも利用し、どんなものでも利用するのです。主イエスはこうおっしゃいました。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」(ルカ伝9:62)。
Ⅵ.仕えるために生きましょう。「人の子が来たのが、仕えられるためでなく、かえって仕えるため」であると、イエス様はおっしゃいました(マタイ伝20:26)。真の偉大さとは、他人に仕えるというところにあるのです。どうか受け取る側にならないでください。「受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒20:28)。
Ⅶ.すべての主である方を王としましょう。もしキリストがあなたの人生を支配しておられるなら、一日一日が本当に永遠に価値のあるものです。キリストの教えとは、「心地よい気晴らしではなく、熱心な探求」なのです。これは簡単なものではなく、葛藤です。クリスチャンになるのに代価はいりませんが、クリスチャンであり続けるためには全てを捧げることが要求されます。一般受けするわけでなく、むしろ迫害が待ちうけており、快適さではなく、十字架が待ち受けています。しかし、実はこれが最高の人生なのです。あなたは最高の主人に仕えているのです。その報酬は最高ですが、その報酬以上に主に仕えること自体が好きになるでしょう。あなたの報酬は、今もそして永遠に素晴らしいものです。
ですから、あなたの人生をキリストに捧げることをお勧めします。最高のものを神様に捧げましょう。なにも憚ることはありません。神様があなたに「よくやった。良い忠実なしもべだ。(中略)主人の喜びをともに喜んでくれ。」
(マタイ伝25:21)と声をかけてくださるのを聞くことがあなたの究極の喜びとなりますように。
本稿は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州シャーロット市に所在するBBN聖書放送が、特別にあなたにお届けするものです。次の二つを実践するのに役立てばと思います。まず第一に、「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」(ⅡテモテⅡ2:15)。第二に、「キリストのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。兵役についていながら、日常生活のことに掛り合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。また、競技をするときにも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。」(Ⅱテモテ2:3-5)。