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証し

五つのパンと二匹の魚を・・
主の御名を心から褒め称えます。
 
もう、40年も前のことです。70を前にしても、あの日あの朝の出来事を思い起こすと、胸の奥の小さな泉から熱い熱い感動が溢れて来ます。1972年4月、長女のバプテスト教会付属幼稚園の入園式でのことです。しっかりした利発な我が子の姿を惚れ惚れして眺め満足と誇りで気持も高揚していました。「宜しく 宜しく」と近くにいるおかあさん達と挨拶を交わし、園長(牧師)先生のお話を待っていました。緊張もありましたが、スタートの喜びで私の瞳は可愛い娘をすっぽり包んでいました。
 
きっと、教会ならではの教育の方針、計画を話してくださるのでしょう・・と期待一杯でした。でも、私の期待をよそに、園長先生の挨拶 「神様に造られ 神様から預かった神様の子供達・・・」と続きます。「随分、変わったお話ですね。」お隣のおかあさんに私は言いました。彼女は綺麗に笑いながら「うちは3人目なんですけど、いつもこうなんです。気にしなくていいんですよ。」でも だんだんと 気にせずにはいられなくなりました。「え?3回もこのお話をお聞きになられたのですか?」「そうです。だってここ教会でしょ。しかたないんですよ。」
 
この創造説!に!驚かないなんて!・・・・
 
これまでの私は進化説にさほどの疑問も関心もなく、今日の今日を人として一生懸命に生きることで精一杯でした。
そんな私には「創造説」はその場に立ち竦むほどの衝撃でした。「聖書がそう言っています。」と微笑みながら話される牧師先生の言葉に恐ろしいほどの権威と力を感じました。「これはどういう事なのでしょう・・・」私は「・・・とんでもない幼稚園を選んでしまったのではないかしら・・・」 「聖書の神は全てのものの創造主」聴く事 聴く事 初めての事ばかり・・・お隣におられるおかあさんのようにとても冷静ではいられません。もし・・聖書がそれほど重要で真実だとしたら、私はとんでもない生き方をしていたことになる。でもこれが よく言われる宗教の戯言としたら、即、幼稚園を変えなければ・・・・なにやらグルグル回る頭の中。・・・・入園式は終わりました。
 
家に帰っても、日が経っても、「私はどうしたらいいのでしょう・・」の戸惑いは消えません。私は牧師先生を訪ねました。思い切って矢継ぎ早に質問したと思います。牧師先生と話しているうちに・・はっ!としました。創造主を否定していた訳ではなく、無視していた訳でもなく、全くの無知と唯物的な生き方で走るように生きて来たことに気付かされました。ちょっと考えれば、
私の60兆の細胞も、この一つ一つの器官も、設計してくださる方がおられる故に成り立っていること、宇宙を仰いでも、地を見渡しても、創造主の存在を知ることが出来たはずだったでしょうに・・・そして、何よりも進化説の嘘に目隠しされて、読書好きの私が聖書を一度も手にしなかった事にも不思議に思えました。
 
牧師先生は始終にこにこされて「教会にいらっしゃい」でした。
 
それからは「第一礼拝」「聖書研究会」と教会の集まりに出席しました。聖書は聴く毎に、読むほどに、眠りから揺り起されるような新鮮さを感じました。そして、心の奥のもっと奥から明るい喜びが沸き挙ってくるのです。
 
「ヨハネによる福音書」まで読み進んだとき涙が溢れてきました。
十字架・・・キリストの痛み・・・人間否私の登場・・・よくもこんなに・・・そう思うほど涙が溢れ出てくるのです。「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終わった」と言われ、首をたれて息をひきとられた。」(ヨハネによる福音書19・30口語訳)・・・「愛」という有形を光に包んで差し出され、私はひたすら「おいおい」泣いている・・・そんな情景だったと思います。罪の赦しを求める涙と 私の全ての罪が赦されるという事実からこみ上げる喜びの涙とで、疲れ果て・・・次の日に教会に走りました。長女の入園式の日に初めて直球のように受けた聖書の言葉・あの熱く激しく私の心を揺さぶった聖書の言葉・・戸惑い・動転・嗚咽・・・「このお方を信じて新しく人生を始めたい!」
 
1973年3月18日バプテスマを受けました。4年の間に家族全員が救われ、それからは私の周りで主の救いの業は大きく広がっていきました。
 
実は、この教会付属幼稚園を選び決めたのは、私ではなく私の母でした。私たちは東京の本社勤務で東京に住んでいましたので、身動きも取れず、その4月には本社勤務が終わり、静岡の実家近くに引っ越さなければならなかったこともあって、幼稚園に関してすべて、母に頼っていました。「出来るだけ教育レベルの高い幼稚園を・・」の私の希望は・・・
 
母は浄土真宗の家の出で、女学校に通うのにわざわざお寺に預けられたほどでしたから、母自身も仏事には熱心でした。
 その母が何故キリスト教を選んだのか・・・何の準備もなく、臨んだ入園式。その後、悶々としていた私に、母は一言・・・「道子には信仰が必要と思ったから」
 
その母が1978年5月2日、倒れ、駆けつけた時には、もう・・眠ったままの姿。福音を聴きつつも、告白しないままの母。「主よ。何故、今、なのでしょう・・」鉛のような悲しみを抱えて、色彩も音もない世界に迷い込んだような虚しさ、この突然の出来事に、始めて人の死に直面して、長女は「おばあちゃん!目を開けて!起きて!目を開けて!」長女の泣く声が遠くに、近くに 聞こえます。

周りの音にも声にも乱されないで、バプテスマを受けてまもない次女は
ひとり、おばあちゃんの右手を小さな手に包み込み、静かでした。どれほどの時が経ったのでしょう・・・顔を上げて「おばあちゃんが今、まどかの手をにぎったよ。」「イエスさまを信じてね。イエスさまを信じてねってお祈りしてたらね、おばあちゃんがまどかの手をにぎったのよ。」「おばあちゃんもイエスさまを信じるって!」嬉しそうなその顔も、まだ、私には滲んで見えましたし、誰も心に留めませんでした。まどかの嬉しそうな言葉の後、ほんの数秒して母の命の音は横一本の線になりました。葬儀などすべてが終わって、まどかの言葉と、消えない笑顔を思い巡らしひとり祈っていました。「今はあなたにはわからない」けれど「あとでわかるようになります。」御ことばは心に広がりました。
 
遊びに夢中な子どもたちを「ご飯よ!帰ってらっしゃい!」と呼ぶ夕方の私の声。左右にまとわり付く二人の子どもたちの笑顔と跳躍。そんな日を重ね巣立っていった子どもたち。
 
あれから・・・34年過ぎた今・・・「もう、終わった・・」と終わりを自分で決めた私の祈りと、母の霊が母の身体から離れる瞬間まで諦めないで祈り続けた8歳になったばかりのまどか。あの日の問いの答えが、あの日の二人の祈りをもう一度思い起こすことで開かれたように思います。
 
今 私はニュージーランドのWELLINGTONに住んでいます。MIRAMAR BAPTIST CHURCH に属しています。礼拝は娘の通訳で毎週導かれ、霊的には十分満足し、感謝しています。 ニュージーランドは星が美しい国です。空が大きく、何処までも高く、透明で美しい国です。大きく弧を描いた虹が見えます。NZの大空を見上げていると、イエス様が今にも高貴なお姿で おいでになられるかも知れない・・と胸がドキドキします。詩編19編が自然に口から生まれてきます。
 
この国まで「BBN聖書放送」の目には見えない「声」と「ことば」は主の愛の翼に乗って届いています。一日中「BBN聖書放送」を聴き、「聖書学院」で学び 
遅くなりましたがやっと、献身を促されています。「BBN聖書放送」は霊の贈り物です。日本語のメッセージ、賛美歌、聖歌はお箸をつかう霊の日本食です。
日本語の響き、日本語のゆかしさ ・・・私の国の大切な言葉・・・感謝でなりません。この国に来て「BBN聖書放送」の贈り物を頂いて、何かが覚醒した私は
この国の、この街におられる沢山のイエス様を知らない日本人の方に、「天国への道」この良き知らせを運ぶ足になりたい!そう思う日々です。
私の「五つのパンと二匹の魚」を捧げましょう・・・・そして 私自身を・・・
                
 感謝とともに。  ニュージーランド ウェリントン在住 大本道子
 

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