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証し

「私の罪を、2000年も前のこの人が、どうやって?」聞こえてきたBBNのメッセージ
私の両親は、末の妹が生まれてすぐに離婚をしたので、私は、母と年のはなれた二人の妹と一緒に、3姉妹の長女として育ちました。
私たち姉妹は、祖父母と親戚が暮らす家に預けられていた時期もあり、気を使って妹のお世話や家事をしたり、辛い日々もたくさんありました。
その後、母の再婚など、いろんな出来事があり、私は、甘え方もよく分からないまま育ちました。義理の父の手前、始めは家でもいい子を演じていましたが、最終的には横道にそれてしまい、家にも帰らなくなり、いろんなことがありました。
これは、過去のほんの一部ですが、このような決していいとは言えない環境で育ちました。
私は約5年前に退職、結婚をしてアメリカに来ましたが、来る少し前に、軽い不眠で、安易な気持ちで病院に行ったところ、「軽い鬱です。薬と休養が必要です。」言われて、大量の薬を出されましたが、指示通りに飲みました。そして鬱状態はさらに悪化した状態でアメリカへ来ました。鬱というより、その頃には、処方薬に依存してしまっていて、大量に持ってきた薬がなくなってからは、もともと好きだったビールで、薬への依存をごまかす日々になっていました。
そんな中、昔からアウトドアが好きでキャンプ好きだった私を、主人が、日本人が集まるキャンプがあるらしいから行こう!と誘ってくれたので私は、屋外でのびのびビールを飲むつもりで参加したのですが、それがクリスチャンのキャンプでした。
聖書を見たのはその時が初めてで、そこに来られていた牧師先生を見た時の私の第一印象は、『私には罪も汚れもございまん。。』と言うような澄ました顔に見えて、あぁ嫌なタイプ。。と思いました。
その翌日だったか、何が始るのか分からないまま、皆さんについて行くと、その牧師先生のお話でした、あぁ、あの人だ、、と思いながらお話を聞いていた私は、理由も分からず泣いていたのを覚えています。
そのキャンプで、初めて大勢のクリスチャンや、そのご家族を見て、すごく親切で、家族も兄弟も、本当の思いやりがある仲の良さで、日本から来たばかりの私には衝撃でした。
平凡と言う幸せな家庭を作ることを夢見て、それに生きる望みをかけて育った私は、何かヒントが見つかりそうな気がして、クリスチャンに興味を持ちました。
でも、その頃の私は、毎日ビールを飲んでいたので、もし行く前に2日間も禁酒だと知っていたら、行ってなかったかもしれませんが。。
それでも帰りの車では、すごく不思議な、いい気分で帰ったのを覚えています。
その後は、気が向く時だけなんとなく教会に行く私たち夫婦を、教会の皆さんは、いつも温かく迎えてくださいました。
その後、娘の出産、彼女の病気などいろんな事があった中で、当時の牧師先生のお宅で、福音をわかりやすく説明してくださいました。
そしてその時、私は主人と一緒に、イエスキリストを、自分の救い主として受け入れる祈りをしました。
でもこの時はまだ、ただ、そう思いたい、と言うレベルで、殆ど福音の意味は理解できていませんでした。
せっかく姉妹から頂いたバイリンガル聖書も、埃を被る日が続きました。
キャンプから3年経った2011年に、洗礼を受けたい!と思い、田舎の、ごく普通の 仏教徒の長男である主人に相談しました。
主人は、ためらう様子なく承諾してくれて、日にちが決まる頃、主人も自ら、一緒に洗礼を受けたいと言ってくれたので、私たち夫婦は、2011年の秋に一緒に洗礼を受けました。
その時は、皆さんにも、おめでとう! と言われて、とても嬉しく感じました。
じゃあそれからクリスチャンホームとしてのすばらしい生活がスタートしたかと言うと、、残念ながらそうではなく、離婚を考えるほどの問題があったり、以前と同じような、頻繁に口喧嘩をする日々も変わりませんでした。
私は、喧嘩になるととても口が悪いのですが、そんな私の口の悪さも変わる事はなく、やっぱり私なんてクリスチャンにはなれないんじゃないかな。。と思ったり、聖書に書いてあるような人間になることを難しく感じたときは、平凡な家庭で育ってない、こんな私だもの、はなからなれる訳なかったんだよね。。とさじを投げてみたり。逆に、聖書に書いてあるような人間になろうと思って、頑張ればがんばるほど、自分に無理がたたって、疲れて、、自己嫌悪しました。
聖書を読むのも面倒になったり、クリスチャンだからって、別に何もいい事はないし、クリスチャンじゃなくてもいんじゃないのかな?とよく思いました。
オンラインで英語を教えてくださっていた先生は、日本にお住まいのクリスチャンの方で、私がBabyクリスチャンだと知ると、いつも終わりには祈ってくださって、時には時間外に、睡眠時間を削ってでもBibleを教えてくださいました。
その先生は、神様のことをいつも楽しそうに語ってくれて、いつか死んで天国に行ったときには、神様にお聞きしたいことがたくさんあるんだ~。 といつも笑顔の耐えない素敵な方で、なんで死んでからのことなんて分からないのに、ここまで確信して天国に行くと思っているんだろう。。と、不思議に思いました。聖書に書いてある、自分を迫害するものの為に祈る。。と言うことも「すごく 自分の心もすっきりするから やって見られるといいですよ~」と笑顔で教えてくれたのですが、何度挑戦してみても、当時の私には、心から祈れないし、そんな人のことを何て祈っていいのかも分かりませんでした。
たくさんトラウマを抱えていた私は、どうしても消せない過去のトラウマに襲われては、布団から出るのも嫌になったり、教会に行きたくても家から出れなくなったりした事もあり。。。神様、こんな私でごめんなさい。。と家で一人で泣いていたこともありました。

まだ、聖書を読むことが難しかった私は、いつからか、インターネットラジオのBBN聖書放送を毎日、ほぼ一日中聞くようになって、今年の1月24日も、ちょうどその時病気だった娘を背中に背負ったまま聞いていました。その日の放送は、イエスキリストが、自分たちの罪を背負って十字架で死んでくださったという事についてでした。もう何度も耳にした話でしたが、私の罪を、2000年も前のイエスキリストがどうやって?どういう意味だ ろう。。と、理解したつもりでも、心底は理解できていない箇所でした。記憶力も理解力悪い私は、、ノートを取り始めたところで、その時も、ただ理解したい一心で、イメージを図に書きながら熱心に聞いていました。書きあがった図を見て、自分でも驚きました。
それは私自身が、以前から、何だこのうさんくさい宗教的な絵は。。と思っていた絵にそっくりでした。イエスキリストを受け入れるお祈りの際、頂いた時のパンフレットにも、同じ様な絵が書いてあったと思います。
その図は、罪によって、神様と繋がることができなくなってしまっている、『人間』と、『神様』との間に、『イエスキリストの十字架』が新しい道となって、神様と繋がっている図でした。

その図にハッとした瞬間、まるで落雷したかと思うような大きな音と光を感じて、十字架上でぐったりされたイエスキリストの御姿がありました。
その、一瞬の衝撃とともに、イエスキリストが、自分の罪を全部 受けて、自分が赦されるために、十字架にかかってくださった、と言う意味を理解した私は、過去にわき道を生きてきた分、人には話せないほどの、たくさんの罪のある人間なので、、どうしよう! 私の。。。全ての罪を背負わせてしまったんだ。。。と言うショックを受けて、娘を背負ったまま、泣きながら、震えながら、その場を行ったり来たりました。地に頭を擦り付けても、とても謝罪しきれないほどの気持ちでいっぱいでした。同じ日の午後、今度はつらい出来事があり、腹立たしくも、悲しくもなりました。きっと以前の私なら、思い出しては、憂鬱になる日が数日は続いたと思いますが、数十分経った頃急に、体が、温く不思議な膜に包まれたようになり、とても幸せな感情に、溢れるほど満たされて、自分でも何がなんだか分からなくなりました。悲しい思いも、一瞬でなくなり、全てが愛おしく感じて、そのとき、溢れんばかりの愛に満たされました。

それから、私は、自分でも信じられないほど変わりました。
以前の私は、人に自分の体験や思いを話すことがすごく苦手で、別に伝えようとも、理解してもらおうともしないタイプでした。まして、人前で、このように証をさせていただく事などは、以前の私では、考える事もできませんでした。
そして、心に平安があり、こんな世界があった事にすごく驚きました。 以前も、クリスチャンの世界と言うのは違う世界の扉を開けたように感じていましたが、その頃は、心がこのように平安が満ちていなかったように思います。
仏教で育った 私たち日本人には、自分で体験するまで、もちろん信じられないと思います。もちろん、悲しみや怒りが無くなると言う事ではないのですが、すごく大きな割合で、神様が背負ってくださっているので、昔のように深く傷 ついたり、抑えられないほど腹が経つことも無くなり、夫婦関係、育児、いろんな物事の考え方も大きく変わったので、家庭内も変わりました。

日本に居る頃から、目にした事のある聖書の箇所で、『すべて疲れた人、重荷を負ったものは 私のところへ来なさい』の本当の意味を、身をもって知って、こんなにもすごい事だったのか、、と、ただただ、神様の偉大さに驚きました。昔は、そのメッセージは、何か大きな悩みを持った人へのメッセージか、良くない宗教勧誘のキーワードくらいに思っていました。
世の中には宗教がたくさんあって、その家に生まれたらその宗教で生きて行くのが普通のことだと思っていたので、私自身、父親代わりだったお爺さんに、唯一教えられて育った言葉が、「借金の保証人と、宗教の勧誘だけは、例え身内でも断るように」というものだったので、一人暮らしの時に、宗教の勧誘の方が来られたら、おじいさんの言葉を思い出して、インターホン越しに、もう2度と来られないように、必死で断っていました。クリスチャンも、もちろん同じだと思っていました。頼るもののなかった私は、占い好きの母に貰った本をいつも参考にして、時期、方角、いろんな事をなるべくその通りにしてきました。もちろんアメリカにまで持ってきていましたが、今では、どうしてこんな本の言いなりになってきたのか、自分でも考えられないほどで、振り返ると正直ぞっとします。

何よりも、神様が自分の中に共に居て下さるということは、思い込みではなく、確信に変わりました。以前の私では到底できなかった、嫌いだった人や苦手な人の幸せ、救いを心から願えるようになりました。
もちろん、だからと言っても、意地悪を言われたら普通に腹は立ちますし、傷つきます。でもその思いも以前のように長くは続かず、その人の心が幸せと平安で満たされるように、このすばらしい世界を知ることが出来るように、願わずには居られなくなる自分自身の変化に驚きます。
今日は、クリスチャンでない方も、教会に来てくださっているので、私の頭がどうかなっているんじゃないだろうか、、とすごく宗教に洗脳された人のように、映るかもしれませんが、信じるもの、全てに神様が与えてくださる と言うこの本当に幸せな世界の真実を、例えおかしな人に見えたとしても、伝えずにはおられず、こんな私の証ですが、今日こうして話させていただく機会を与えられたことが、すごく嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいです。
私も以前は、両実家のお墓や、仏壇の事を気にしていましたが、大切なのは、本人の心の信仰だと感じました。ですのでどうそ、そのような事が神を信じる人の心を、妨げる原因になりませんように。。
家に何が置いてあろうと、家族が違う宗教に信仰を持っておられても、自分が心の中でイエスキリストを信じる信仰を持つことには、誰をも気にする必要はありませんので、ぜひ神様の大いなる愛と恵みを受け取られてくださいますように。
 

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高原剛一郎さん
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