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罪を赦す権威
「そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。」(マルコの福音書 2:3-5)

屋根をはがして床(とこ)に載せた病人をつり下ろした…これはそのまま絵になりそうですね。ぽっかりと穴の空いた天井。そこから室内をのぞき込む髭面の男たち。家の中にいるおおぜいの人々の驚いている顔、顔、顔。しかし聖書の記録はあくまでも床の上に横たわる男を見つめるイエス様にフォーカスしています。

イエス様は、人々の行いやその結果よりも、むしろその動機をご覧になります。イエス様ならば必ず癒してくださる、と信じて疑うことのない中風の男とその友人たちの素晴らしい信仰と、切羽詰まったあげく大胆な行動にでた4人の男たちの愛にイエス様は心を動かされました。もちろんその故に、マルコ2:11にあるようにこの男の病は見事に癒されました。

ところで、この聖句には見過ごしてはならないとても大切な事実がもうひとつ記されています。イエス様は、肉体を癒すみわざの前にこの男に対して、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と宣言されたのです。

イエス様の時代、病の癒しをする祈祷師や魔術師は、いました。しかし、罪を赦す宣言はしなかったでしょう。いや、恐ろしくてとてもできなかったでしょう。もしも罪の赦しを宣言するなら、その者は自身を神様と等しくし神様を冒涜した(マルコ2:7)かどで、死罪とされるのは明らかだったからです。

確かに、神様がその者は罪ありと認められたのなら、神様以外に誰もその罪を赦すことはできません。これは正論です。ですから、人間にとって癒しや奇跡のわざをするほうが、罪の赦しを宣言するよりもはるかに簡単なことなのです(マルコ2:9)。

そうです、あなたはもうお分かりですね。御子イエス・キリストは神様だからこそ、罪を赦す権威をもっておられるのです。人々はそのことを知らなければなりませんでした(マルコ2:10)。

友人たちに運ばれてきた男の人は何らかのことで自分の心の罪に気づき、そのことで心が縛られ、ついには、それがもとで肉体までも病んでしまったのかもしれません。

イエス様にはその男の人にたいして、「まず、罪赦されて心が解放されなさい。父なる神様との真実な関係を回復して平安を得なさい。」とのみ思いがあったに違いありません。罪が根本的に解決されてはじめて、肉体の真の癒しが可能になったのです。

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イエス・キリストは罪を赦す権威がおありだけではありません。私たちを罪の奴隷状態からの救い出してくださる方であり、私たちのために、日々神様にとりなしていてくださる大祭司でもあります。

BBN聖書学院のコース番号10600 「イエス・キリスト - 神 - 救い主 - 大祭司」で、イエス・キリストの3つのおはたらきを学んでください。

担当   Hitoshi Shinoda    記載日  3/19/2014 3:25 PM
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